なにかと「裏切られた!」と嘆く人の特徴

「すごく好きだった子に裏切られてから、誰かを真剣に愛せない」と言う男がいる。肉体関係があり自分に好意を寄せている女性に言う場合、これは最も卑劣な宣言の一つだ。
なぜならまず第一に、「君を本当に好きな訳じゃない」と堂々と言っている点。第二に「それは俺のせいじゃなくて、俺を裏切った女のせい」にしている点。そして第三に「心あればこそ」という顔をしている点だ。
それを聞かされた女性は責めるどころか「心の傷」を打ち明けてくれた彼を哀れに思い「私が彼の心の傷を癒やしてあげられるかも!」と希望を持つ。俄然張り切って不誠実な男につくしてしまうのだ。遊びたいのなら同じスタンスの女を探せば良いのに、ヤリたいだけの軽い男と見られるのは嫌だから「良い台詞見つけた!」とばかりにヘビーローテーションするのである。
学生時代、とある学部の男子生徒の間でやたらとこの台詞が流行っており、この手の『ナイーヴ』な男との恋バナを随分聞いたものである。

「元カノに裏切られた」「あの女に傷つけられた」と、受けた傷をいつまでも吹聴してまわるのは断然男が多い。なぜなら女は次の恋をしたらそんな男のことなんてすっかり忘れてしまうからだ。すぐに新しい恋ができるかは運もあるだろうが、女は「もう恋なんてしない」とは言わず「次は素敵な恋がしたい」と言う。

なぜ人に不信感を抱くのか


ここで一つ、紹介しておきたいツイートがある。
「人に対して極度に不信感を抱くのは、大抵『裏切られたことのある人』ではなく『裏切ったことのある人』なのよ。」
――20万以上のフォロワーを抱え、『TEDxTOKYO』にも登壇したTwitterの人気アカウント、サザエbotの名言である。
そう、やたらと「裏切られた」という人間は、裏切る心理やメカニズムを嫌という程知り尽くしているからこそ、相手に裏切られるのではないかと恐れるのだ。
本当に自分が信じた相手にこっぴどく裏切られたのならば、その人を信じてしまった自分の未熟さもまた責められるべきだ。それが100%他人への不信感にしか繋がらないのならば、人を見る目が養われることもないだろう。

サザエbotはこうも言う。
「信じるっていうのは、『この人になら裏切られてもいい』って思えることを言うのよ。」
――他人を妄信的に信じるよりも、まずは自分自身と自分の選択を信じる力を身につけるべきかもしれない。
(本木たま)

この記事を書いたライター

本木たま
放浪癖のあるフリーライター、コラムニスト。恋愛に関する記事を執筆中。最近ハマっているのは神楽坂の小路散策。

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