「妬ましかった…」 "キラキラ女子"をつい装ってしまう女の心理って?

“キラキラ女子”という言葉を聞いたことがあるだろうか?
恋愛も仕事も自分磨きもバッチリで、人生のすべてをエンジョイしているように見える女子のことである。ただし最近では「ネット上で私生活を誇張し、キラキラしている風を装っている」イタ~い女子を揶揄するときに使われることも……。

今回はそんな「キラキラ女子をつい装ってしまう」いわば“ニセキラキラ女子”の心理に焦点を置いてみた。SNSと切っては切れない社会になっている今、彼女たちの行動は決して他人事ではない。あなたも「イタイ女子」にならないよう我が身を振り返ってみてほしい。

目次

動機その1.「妬ましかった」


「学生時代の友人のひとりは美人な上に性格もよく、誰にでも好かれる子。おまけに商才まである彼女は卒業後、起業し時折メディアにまで取り上げられる存在に。そんな友人が内心では羨ましくて妬ましくて……でも性格のイイ彼女を憎むワケにもいかなくて、精神のバランスをとるために彼女のマネをしたツイートを始めてみた。彼女の行きつけの店をさも自分も常連みたいに言ったり、高価な化粧品やお洒落なレストランを『コレいいよね~』みたいに語ったり……。でもある日フォロワーの人から『○○さん、この店に本当に行ったの?』って見抜かれてしまい、恥ずかしくて恥ずかしくてアカウントごと削除。今思えば完全におかしかったけど、あの時は私もキラキラ女子の彼女みたいになれた“万能感”があった……。ただ見せかけはいつか見破られるのがオチですね」(20代・匿名希望)

――“妬み”は人を突き動かす大きなパワーになる。「なにくそ」と多少の困難にもめげず頑張れる方向へ向かえればよいのだが、他人の表面だけをやすやすとマネようとすると、こんなにも悲しい結末を迎えてしまうのだ。「ちょっとくらい偽装したってイイよね」な~んて安易な投稿が破滅への第一歩。「世の中には目利きが必ずいるモノ」と心得よう。

動機その2.「反応されるのがうれしかった」


「SNSの世界って、ある意味見栄の張り合い。多少は大げさに言ったり話し盛ってるのは分かってるけど、『アンタらにはこんなのムリでしょ~?』とばかりに私生活をアップする“キラキラ女子”が憎くて……。フォロワーが増えなかったこともあってある日『タワマンに引っ越しました~』とアップしてみた。画像は住宅情報サイトから借りた。そうしたら『すごぉぉ~~い!』って声と『ナニ? 自慢?』って賛否両論が山のように!! けなされても何でも、それまで投稿をほぼスルーされてた私にとってはとにかく“反応がある”ってことが嬉しかった。拝借した画像もあったので、バレたらヤバイと思い止めざるを得なかったけど、今でもあの“快感”が忘れられない」(20代・不動産)

――ある意味人間にとって一番ツラいのは、「罵詈雑言を浴びせ掛けられること」より「なんの反応ももらえないこと」というのがよーく分かるエピソードではないだろうか?
「この人、なんでこんな煽りばっかりツイートするの?」「炎上するのに決まってるのに……」なんて投稿をする人は、非難でも批判でもなんでも反応してもらえること自体が快楽なのである。けれどその快感は痛みと隣り合わせ。軽く弄んでいると、いつの間にかあなたの心を壊す危険性をはらんでいる。一時の快楽と引き換えに「壊れる」可能性もあるのだ。

動機その3.「世間を見返してやりたかった」


「現実の自分はちっぽけな会社勤めで正社員雇用ですらない。お給料も低くて特に才能があるわけでもないし、顔だって十人並みで存在感ないから恋愛でも連戦連敗……。婚活もしてみたけど、結婚相談所の人に“ダメ出し”されたとき何かがブチ切れ、それからフェィスブックで“30代、外資系勤務、彼氏とっかえひっかえ”リア充女子を装った。写真も胸元だけのアップをわざと投稿してみたりして……そんなことで世間を見返したつもりだったのかな。今は私のことを受け止めてくれる彼氏が出来て全部止めたけど、あれはホントに私の黒歴史でしかない」(40代・損保)

――「偽キラキラツイート」は自分を相手にしない世間への復讐だったりもする。現実で冴えない女子は「輝いてる自分」を装いチヤホヤされることで、「こいつらまんまと騙されてバカみたい」と見下し満足感を覚えるのだ。この彼女のように「こんな私を受け止めてくれる男性」が現れればよいが、そうでなければ偽装行為はエスカレートするばかり。“ニセキラキラ女子”からの脱却には、時として人の助けも必要!“良き知人に恵まれる”という運やご縁も大切なのだ。

“偽のつぶやき”はなによりもあなたの心に溜まる

「どうせ誰にもバレないし」
「ちょっとウソついたくらいで、犯罪ってワケじゃないし」
……なにかがうまくいかないとき、軽い気持ちで「まがい物のキラキラ投稿」をしたくなってしまうことも女子ならばあるかも知れない。けれどそのウソは、たとえ人を傷つけなかったとしても、あなた自身の心を傷つける。

たとえ“キラキラ女子”を装ってみたところで、いつか「こんなのホントじゃないし……」と、とてつもない虚しさに襲われる。

「キラキラしたウソ」はその場の快楽を得られる麻薬のようなもの。気が付けばあとに残るのは空虚なウソの山だけなのである。

キラキラツイートがしたければ、自分のつぶやきに相応しい女になろう! 素敵な女性になるための努力を惜しみなく、自分の人生をリアルに満喫しよう。
(神崎桃子)

この記事を書いたライター

神崎桃子
体験型恋愛コラムニストとして活動し、ヒット記事の数々生み出す。大手ポータルサイトにてコラムを連載中。男女のズレや生態、恋愛市場の時事問題を得意とし、文章セミナー、婚活セミナー講師も手がける。

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