「結婚がゴール」でなければ「なにがゴールなのか」について

誰もが知っているように、今や3組に1組の夫婦は離婚しているので、多くの人は結婚がゴールなんてことを、頭から信じていないのかもしれません。
それでも、結婚に淡い期待を抱いて結婚する(あるいは結婚したいと渇望する)……それって、とっても自然なことじゃない?
こう思う女子も大勢いることでしょう。

目次

結婚がゴールでなければ……


結婚がゴールでなければ、なにがゴールなのか?
そもそも人生にゴールなんてない、と言っている識者がいます。非常に常識的な見解だと思ったので、ここに紹介しました。
よく言われるように(そしていまさらここに書くまでもないことだと思えてくるように)、結婚とは、ふたりでなにかを築き上げるスタート地点でありも、それは同時にゴール地点でもあるのでしょう。
仕事が死ぬほどつまらなくて、とにかく結婚したいと思って結婚した女子にとっても、結婚とは「仕事が死ぬほどつまらなかった人生」の終点であり、同時に「新しい誰かと、新しい人生を作っていく」スタート地点ですよね。
だから「結婚はゴール」という考え方だけでは「足らない」ということですよね。

もしも人生にゴールがあるとすれば


もしも人生にゴールがあるとすれば、それは(これまた言うまでもないことですが)死がゴールなのかもしれません。
朝起きたときに「今日も死に向かって歩く1日が始まった」とは、誰も思わないのかもしれません。よほどの大病をした人でもないと、こんなこと、思わないですよね、ふつうは。
でも、誰の人生にも平等にやってくる「そのとき」に向けて、人は等しく時を刻むものです。

死がゴールだとすれば


結婚はゴールではなく、ほんの始まりにすぎず、死がゴールだとすれば、結婚はしてもしなくてもいいものであり、とにかく最期の瞬間に、生きていてよかったと思えるような生き方をすればそれでOKということも言えます。
ただし、死という、とうてい受け入れがたい事実を、ひとりではなく、愛する誰かと受け止めたほうが、人生は「ちょっとは楽」であり、「ちょっとは豊か」なのも、きっと事実でしょう。

でも、それだって、なにも「人間の誰か」と一緒に受け止めなくてはならないということもないものです。
仕事が恋人という人は、この世に大勢いて、たとえば愛する音楽と最期の瞬間を迎えることができればそれでいいという人もいれば、愛する文学と最期まで一緒だとそれでいいという人もいます。

ということで、この項にゴールはありません。
最期をどう迎えたいのか? ということを想像するには、もっともっと年齢を重ねないと想像することすらむずかしかったりもします。
身近な人が亡くなったという経験をリアルにしないと、死なんて、想像できないですよね。
でも、そこをどうにかイメージしようと努力することで、「パートナーを選ぶ目」に狂いが少なくなる(かもしれない)というのも、また事実ではないでしょうか。
そして、これは、なにも「重たい話」ではなく、最期の瞬間を経験することなく永遠に生きることができる人以外は、日常的に考えておいたほうがいいことではないかと思います。
(ひとみしょう)

この記事を書いたライター

ひとみしょう
作家/コラムニスト/作詞家。キルケゴール哲学をベースに、なんとなく淋しい人に向けた希望論&恋愛論『自分を愛する方法』を上梓。全国の書店等で発売中。『ひとみしょうのお悩み解決』『ひとみしょうの男って実は』(Grapps)など連載多数。日本自殺予防学会会員。キルケゴール協会会員。

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