「男の生きづらさ」について改めて考えてみる/峰なゆか・卒業♡アラサーちゃん

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男の生きづらさについて考えてみる

今日は男の生きづらさについて考えてみようと思う。有り体に言えばそんなことはぜんぜん考えたくない。なぜかというと、女たちはすでに散々考えさせられているからだ。
女が「女の生きづらさ」について話していると「男だって辛いんだ!!」と突撃してくるヤツが必ず現れる。え? いま男の話なんてしてないんですけど? 女の話をしているんですけど??? なんで女が女の生きづらさについて話していると男の生きづらさについても当然語られねばならないと思っているのか? 国際女性デーで「女ばっかり!! 国際男性デーはないのか!!」と突撃してきた男が「ありますけど? 11月19日ですけど?」と返されている光景はもはや春の季語みたいな感じになってきているけど、でも私が空恐ろしさを感じるのは肝心の国際男性デーで男たちがあまりにもシーンとしているところ。男が「男の生きづらさ」を語るとき、「女の生きづらさ」について語る女たちに乗っかる以外の形で、男単体で語り始めることができないというところだ。

そして彼らの主張する「男の生きづらさ」というのも、話を聞くぶんにはどうも首を傾げてしまう。だって男の生きづらさとして男たちが広く「共感する~!!!」となるナンバーワントピックは今のところ「『男なんだから泣くな』と言われること」だから。
いや、女も「女は泣けば許されるからいいよな」とか(その時点で全然許されてない)言われるし、さらに子供の頃から「そんなに短いスカートはいてお腹を冷やすと子供ができなくなっちゃうよ!」とかまで言われるし……。男は子供の頃から「そんなに自転車乗って金玉を圧迫すると子供ができなくなっちゃうよ!」とか言われないだろ……。そしてそれが成人以降も性別による生きづらさのメインとして主張することかっつったら違うし……現在進行形の賃金格差とか性被害とかのほうがどう考えてもやべーし……。
と、ついそっちが「女の辛さ」VS「男の辛さ」で比べてくるんならこっちだって比べてやんぜ!! みたくなってしまうのだが、結局「生理痛の辛さ」VS「金玉を蹴られた時の辛さ」みたいな感じで、そもそもまったく条件も違うし関係もないような事柄でのどっちが真の被害者か決戦になるだけだし、最終的には「男も女もそれぞれの辛さがあるんですね。どっちもどっち!」とかいう吐き気がするほど低脳な結論に落ち着いて、日はまた登り繰り返してゆく。


改めて男の生きづらさ単体で考えてみる

なので女の生きづらさについてはここでは一度置いておいて、改めて男の生きづらさ単体について、やはりそんなことは全然考えたくないのだけどがんばって考えてみようと思う。まず「女子大はあるのに男子大はない!!」とか「痴漢冤罪!!」「ハニートラップ!!」とかいう主張は頭悪すぎるので無視するとして、「男は女に比べて幸福度が低い!!」という一見マトモそうに見える主張も、幸福度の調査方法って「あなたの幸せ度を0~10で表してください」みたいな主観的なものの平均値だったりするので、それで得られる結果は「男は自分が不幸だというお気持ちになりやすい」ってだけなんではないかと訝しんでしまう。
男という性別の部外者である私がパッと思いつく男ならではの生きづらさと言ったら「イジメがハード」とか「同性カップルで道で手を繋いだり同居したりすることのハードルが高い」とか「セクハラを訴えづらい」とかで、確かにこれは男という性別のせいで強化された辛さだよな、と一人で納得するのだけど、どうもそういう話が男の生きづらさの本丸として男から強く主張されるパターンは寡聞にして存じない。


さらに細かく男の生きづらさについて考えてみると、職質されやすいこと、ベビーシッターなど特定の職業につきづらいこと、保護猫の里親になりにくいこと、寿命が短いこと、暑くてもスカートをはけない、「メンズ」と書かれてないと制汗剤すら買いづらいことなどが思いつく。
こういうのも、事実として男が犯罪をする確率が高くて、特に性犯罪をする確率が高くて、猫を虐待する確率が高くて、男のほうが喫煙率も飲酒率も肥満率も高いのになかなか病院に行かず、女には真冬でもスカートはかせて自分は喫茶店のおしぼりでゴシゴシ顔やら腋やら拭いてるんだから仕方ないだろ、と言ってしまいそうになるのだけど、それは「事実として女が仕事を辞める確率が高いんだから女が出世しづらいのも仕方ないだろ」と言うのと同じくらいヤバい気がするので私はがんばって口をつぐむ。


私が見えていなかった男性の点と点

ところで私には毎日欠かさず明治の板チョコを食べる痩せぎすの兄がいるのだが、その兄くんがある日「バレンタイン前後にチョコ買うと、誰にも貰えないから自分で買ってる人だと思われそうだから二月に入る前に三月分までのチョコを買い溜めしている」と言っていて私は度肝を抜かれた。だってコンビニで買う明治の板チョコだよ? しかもバレンタイン当日とか前日だけじゃなくて1ヶ月前後まで範囲内なの!? マジ!? となった。「女を選んでわざとぶつかってくるおじさんなんているの!? マジ!?」と言っている時の男と同じ種類のアホ面をしていたと思う。私があまりに驚いていることに兄くんも驚いているようだったので、兄くんは今までこの話を私以外の人にしたことがなかったんだろう。2月周辺は明治の板チョコが買えないなんてことは兄くんにとってはわざわざ口にするまでもない当たり前のことで、ずっとそうやって生きてきて、それを「男の生きづらさ」とかいう仰々しい雰囲気のする言葉で括る発想もなかったし今もないのだと思う。

このエピソードにどれくらいの男が「共感する~!!」となるのかは知らないが、とにかくこれは私がまったく見えていなかった種類の男側の「点」が初めて見えた瞬間で、これ以外にも見えていない点が莫大な量があることが初めてリアルに想像できた瞬間で、それはきっと男の自殺率の高さとかと繋がって線になっているのだけど、男本人すら見えてないのだから男として生きてきてない女に見えるわけがないし、それが見えるとか分かるとか言うのはちょっと傲慢な気がする。


点と点がつながって線になるまで

私も最初は女の生きづらさの点しか見えてなかった。なぜ「少女」の男バージョンは「少男」じゃなくて「少年」なのか? 父親の部屋はあるのに母親の部屋がないのはなぜなんだろう? 通学路によくいる股間をいじってるおっさんは何をしているんだろうか? 
でも世の中は不思議がたくさんで、アリは砂糖と砂の区別をどうやってつけているのか、原材料の「ホエイパウダー」の「ホエイ」とは何か、プリンに醤油をかけるとウニの味になるというのは本当なのかなどなどの大量にある流動的で些末な不思議の一部として放置していた。
あっ、この点もこの点も繋がって線になっていて、私の人生にはずっとこの太くて長い線があったのだな、と気づくまでには20年かかった。でも20年で気付けたのは、世界女性デーの日もそうじゃない日も、どれだけ「男だって!!」と横槍を入れられようが点、そして線の存在について語り続けていた女たちがいたからだ。


それを返せば男は男側の点、あるいは線の存在について語っている人がほぼほぼいない状況で、なんなら石原慎太郎が「男が『男』である証とは……自己犠牲~!!!」とかって新刊出してる世界で、多くの男たちが自分の点すら認識できていなくて、線なんて言わずもがなで、語る言葉も持ってなくて、でもなんだか違和感のようなものを感じるのは無視できなくて、その結果「男だって男だから泣くなと言われるから辛いんだ!!」みたいな薄ぼんやりした発言をわざわざ国際女性デーで女に向かってするしかない。それは男の生き辛さの点のうちのひとつなのではないかと想像する。


ふう、ちょっとも考えたくもないことをがんばって考えたぞ! でも私ががんばって考えて上記につらつら書いたことは、全然男として生きていない私の勝手な想像でしかないので「全然ちげーよ!! 男の生きづらさってのはなー!!」と思った方は、ぜひ男の生きづらさについて語り始めてほしい。女の生きづらさについて語る女に乗っかる以外の方法で。ウザいんで。少なくとも私は国際男性デーで「女だって辛いんだ!!」とかっつって横槍入れることはしませんので。


Text&Illustration/峰なゆか


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