一生懸命頑張っているのに何をしてもモテない 恋愛を諦めた方が幸せ?

発言小町に「恋愛を諦め生きる為には。」という投稿が寄せられました。トピ主さんは20歳の男子学生。ここ1年ほど、隣にいてくれて互いに安心できる彼女を探してきたものの、「ファッション、筋トレ、中身磨きなどをしても縁に恵まれない」と悩んでいます。

周囲に相談すると「心身共に老けすぎ」などと指摘されたため、服装や髪型も今風にチェンジ。しかし「若作りしている三十路」と言われてしまう始末。中学生のときに家族を失い、高校卒業後から一人暮らしをしている経緯もあり、仕方がないと思う反面、愛情を求めて仕方がない自分がいる……と心境をつづり、アドバイスを求めています。

どうやってもモテない……。
どうやってもモテない……。


目次

“諦めたフリ”で自分を守ってきてくれた心に感謝し、手放そう


「恋愛を諦めて生きること」を考え始めているトピ主さん。恋愛に限らず、欲しいものが手に入らないとき、“諦める”というのは確かにひとつの選択肢です。しかし「愛情を求めて仕方がない」トピ主さんは、簡単に諦められないからこそ悩んでいるのだろうと思います。

“心”は自分を守るために、さまざまな防御機能を持っている


心理学で有名な「すっぱい葡萄(ぶどう)」というたとえ話をご存じでしょうか。キツネは木になっている葡萄を食べたいけれども、手に入らない。すると「どうせあれは酸っぱい葡萄だから」と言い始め、気持ちを納得させた――そんな話です。

このように、人間は欲しいものが手に入らないとき、自分の気持ちを納得させるため、反動的にいろいろな態度を取ります。無意識のなかに封じ込めて忘れようとしたり、別の対象で補おうとしたり、自分の得意なことで満足を補おうとしたり……。

トピ主さんの場合は、「自己努力だけでは世の中は変えられないという“諦観(ていかん)思想”を持つことで、無理をすることに歯止めをかけ、心の落とし所をつけていた」そうですね。「望む恋愛が手に入らない」という痛みを得なくて済むよう、心がトピ主さんを守ってきてくれたのでしょう。

“諦めたフリ”をしなくていいくらい、今は立ち直ってきたのかも?


「昔に比べて人間的に弱く、そして精神力が枯れたから(ここ最近は)異性を求めてしまっていた」なんて自己分析もされていますが、私は逆のことを推測しました。「7年間孤独の中で生きてきた」という記述がありますが、その傷が少し癒え、立ち直ってきたからこそ、再び愛を求めるようになったのかもしれません。

ずっと“愛されたい思い”はあったものの、自分自身を痛みから守るために、心が“諦めたフリ”を作り出していた。でも「今のトピ主さんなら大丈夫」と心は判断して、その思いを解放したのではないでしょうか。愛を求めるのは、人の普遍の心理です。もしかしたらトピ主さんは今、ずっと諦めた“フリ”で守ってきてくれた心のガードマンに「今までありがとう」と感謝し、さよならを言うときが来ているのかもしれません。

“モテること”だけに没頭していると、モテなくなる!?


“モテること”だけに没頭していると、モテなくなる!?
“モテること”だけに没頭していると、モテなくなる!?

男女問わず、「モテるか、モテないか」は人生において重要なテーマですよね。何もしなくてもモテる人がいる一方で、何をしてもモテないと悩む人もいる。でも、モテないことに囚われすぎずに生きている人は、そのうちに幸せな恋愛・結婚をしていく例も多いです。それはなぜか。「モテるモテない」ばかりを考えず、自分なりの幸せな(好きな)生き方を見つけているからかもしれません。

「モテたいという動機で頑張ること」が無駄だと言っているわけではありません。でも、異性にモテるため“だけ”の努力しかしていない人は、どうしても異性を惹きつけにくい傾向はあります。恋することで前向きになれる、といったことはありますが、人の魅力そのものは、恋愛によって作られるわけではないからです。

自分の目指す人生を改めて考え、行動していこう


「モテること」だけに没頭していると、自分の人生そのものがおろそかになりがちですし、「誰かに愛されたい必死さ」や「自分が足りていないと感じていること」なども露呈しがちです。そう考えれば、もしかしたらトピ主さんに今必要なのは「ファッション、筋トレ、中身磨き」よりも、「人生の目標」や「心から楽しめること、生きがい」なのかもしれません。

別に“すごい人”になれという話ではないのです。ただ、「自分はこれが好き」「これに向かって生きている」というものを探してみる。恋愛以外で、20歳の今から頑張れるものを見つけてみる……。恋愛はその後から、自然にゆっくりついてくるようにも思います。

個性は扱い方次第。信じて磨き続けた人の個性は光ってくる


「心身ともに、年不相応に老けすぎ」「若作りしている三十路」と言われるというトピ主さん。「改善のしようがありません」とのことですが、それこそが“個性”と言えるものではないでしょうか。

個性は、“石ころ”にも“ダイヤ”にもなりうる代物。ダイヤの原石なんて言葉もありますが、ただの石の持っている個性を、「こんなくだらないもの」と思わず信じて磨き続ければ、輝きが出てくる。人の個性も、そのようなものではないかと思うのです。

自分の個性を生かそう!
自分の個性を生かそう!


自分の“個性”を受け入れ、認め、伸ばしていこう


石にも大小はありますが、自分にできることをちゃんと大切にして磨き続けてあげると、それなりのダイヤにはなります。そして小さなダイヤでも「これ、わりといいでしょ?」と誇りに思っている人には輝きがあります。逆に、大きなダイヤになる石を持っていても、「こんなものじゃダメだ」と思っている人の光は、くすんでしまいがちです。

自分の個性を愛し、自分らしさが生きる場所を見つけていきましょう。理想論に聞こえるかもしれませんが、今モテている人やステキに見える人だって、水面下でそんな思いと戦った結果、信じて自分を磨き続け、輝きを放つようになった……という実例はたくさんあるものです。

自分自身を誇りに思う気持ちは恋愛にも不可欠


投稿には「こんな貧乏くじの人生やってられません」なんて記述もあります。でも、本人がそう思っているものを、誰かに好きになってくれというのは、なかなか難題にも聞こえます。トピ主さんに与えられた運命や環境は厳しいものだったのでしょうし、世の中には、自分の力ではどうにもならない不平等な側面もたくさんあると思います。それでも、そこから前向きな人生を拓いていっている人もたくさんいます。

トピ主さんだって、7年間ずっと頑張ってきたはず。誰がなんと言おうと「厳しい境遇のなかで、ここまで生き抜いてきた自分」を精一杯、褒めてあげてください。自分自身を誇りに思う気持ちは、必ず恋愛にもつながっていきますから。

愛されたいと思ったら、まずは自分と他人を愛してみよう


愛情を求めて仕方がない自分がいるときは、まず自分を愛する努力から始めてみましょう。「こんな人生なんて、自分なんて」といじめないで、「僕にはいいところがある」「今日の自分には、いいところもあった」と日々自分を褒めて、愛してあげてください。

そして他人のこともできる限り、自分から愛してみてください。愛されたいという気持ちは後回しにして、自分から日常の中で小さな愛を渡していくようにすると、結果的に周りの人たちからとても愛されるようになります。

トピ主さんはまだ20歳。上の世代から見れば、憧れてやまないほどの時間と可能性をトピ主さんは手にしています。人生の時間が残っているということは、まだ何にでもなれるしどんな人生にだってできるということ。

すぐにはピンと来ないかもしれませんが、今回書いたことは、長い人生の中でぜひゆっくり咀嚼(そしゃく)していってみてください。そして役立ちそうならば、ぜひ参考にしてみてください。応援しています。
(外山ゆひら)

この記事を書いたライター

外山ゆひら
対人関係、心や生き方に関する記事執筆が中心のフリーランスライター。読売新聞が運営する「発言小町」の相談コラムや、「恋活小町」を担当する。文芸、カルチャー、エンターテイメント方面を日々ウォッチしている。

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